「手に入れる」から「すでにある」へ。誰もが持っている、WEという感覚

Writing by Yumi Asari

ウェルビーイング

自分自身の内面を見つめ、認識のあり方を変えていくこと。
それは、日々の生活や活動に、どのような変化をもたらすのでしょうか。
そしてその変容は、新しいパラダイムを生きることに、どのようにつながっていくのでしょうか。

本シリーズでは、Healing Flowとご縁のある方々の言葉を通じて、その問いを一人ひとりの実感とともに探っていきます。

今回お話を伺ったのは、小児科専門医・子どものこころ専門医の山口有紗さんです。

山口さんは、子どもの心の健康やウェルビーイングに向き合いながら、診療や研究、政策提言、執筆活動など多方面で活動されています。

長年抱えてきた「安心」への問いから、Healing Flowのセッションや周産期ワークショップを体験された山口さん。そこで何を感じ、どのような気づきを受け取ったのでしょうか。

山口さんが見つめてきた「安心して生きる」ということ。そして、人が本来持っているつながりの感覚について、その歩みと言葉から探ります。

小児科専門医・子どものこころ専門医 山口 有紗 Arisa Yamaguchi

高校中退後、イギリスでの単身生活や中卒での就労、国際関係学部での学びを経て医師となる。ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生学修士、博士課程在学中。現在は子どもの虐待防止センターに所属し、地域の児童相談所などで相談業務に従事しながら研究や講演などを行う。国立成育医療研究センター共同研究員、川崎市人権オンブズパーソン。元こども家庭庁アドバイザー。近著は「子どものウェルビーイングとひびきあう――権利、声、「象徴」としての子ども」(明石書店)、「きょうの診察室: 子どもたちが教えてくれたこと」(南山堂)、「医師・医療者が知っておきたい子ども虐待」(金芳堂、編著)。

「心の底からの安心」を求めて

まずはじめに、Healing Flowとの出会いのきっかけを教えてください。

きっかけは、メンターのような存在だった方からの紹介です。

その方には、仕事のことだけでなく、長く抱えていた心の課題などについても話をしていました。そのなかで、心理の専門性を持つ方として、Healing Flowの誠士さんを紹介してもらったんです。

誠士さんとの関わりは、一対一のセッションから始まり、その後、周産期ヒーリングワークショップ(以下、周産期ワーク※)にも参加しました。周産期ワークに誘っていただいたときは、不思議なくらい迷いがなく、「行くんだろうな」という感覚で参加を決めました。

周産期ワークへの参加を決めた時、山口さんの中にはどのような意図があったのでしょうか。

一番の意図は、「心の底から安心したい」ということでした。

私のなかには以前から、「すべての存在は本来、大きなつながりの中に生きていて、“大丈夫”に包まれている」という感覚があって。でも不思議なことに、自分自身の存在については、その安心を十分に感じられずにいたんです。

だからこそ、心から安心するとはどういうことなのか、その感覚を身体と魂の奥底から体験してみたいという思いがありました。

「心の底から安心したい」という言葉、とても共感します。私自身も、安心を求めながら心から安心できずにいた経験があり、人が安心して生きるためにはいったい何が必要なのだろう? と考えてきました。

安心感についての私なりの仮説の一つは、子ども時代の経験が大切なのではないか、ということです。子どもの頃に、心から安心し、自分と他者、あるいは世界とのつながりを信じられる体験を重ねることが、「自分は大丈夫」と感じられる感覚を育むのではないかと。

そして、そうやって一人ひとりが「自分は大丈夫」「ひとりで生きているのではない」という感覚を持てることは、個人のウェルビーイングだけでなく、より平和な世界をつくることにもつながるのではないかと思っています。だから私は今、子どもたちと関わる仕事をさせていただくことを通して、世界へアプローチしているんだと思うんです。

山口さんの著書「子どものウェルビーイングとひびきあう」

コントロールを手放して触れた、命の本来の姿

周産期ワークに参加してみて、「心の底からの安心感」に触れた感覚はありましたか?

「心の底から安心した」という体験だったかというと、そうですね、とても不思議な感覚でした。

周産期ワークは、生まれることをテーマにしたワークなのですが、私はそのなかで、生まれないことを選んだんです。ワークのプロセスのなかで、「生まれたくない」という感覚がとても強く湧いてきて。安心してしまったら、心地よくなったら、生まれてしまう───そんな感覚を強烈に覚えています。

そのとき、ファシリテーターのクリスティンが、「あなたは、今ここで必ずしも生まれなくてもいい」と声をかけてくれたんです。その言葉を受けて生まれないと決めたとき、宇宙に還る身体感覚の中で、大きな安全感や、何かを手放したことで訪れる深い安心感があったのを覚えています。

だから、最初に求めていた「心の底から安心する」という感覚が、思い描いていたような形で訪れたわけではありませんでした。でも、意図したものを超えたところに、その時間の意味があったように思います。

ワークショップのなかで、印象的だったことはありますか?

まず驚いたのは、沈黙の多さです。とにかく静かで、誰かが自発的に言葉を発するまで、ひたすら待つ。時間の流れが、本当に、本当にゆっくりなんです。

その場にいると、「自然の時間とは、本来こういうふうに流れるものなのかもしれない」と感じられました。

たとえば一般的なワークショップなら数分で終わるようなグランドルールの共有にも、何時間もかける。単に説明するのではなく、相互尊重や相互信頼という土台を、一人ひとりが本当に共有できるまで、丁寧に育んでいくんです。

だからこそ参加者は安心して自己開示ができますし、何かが起きても自然と補い合いやフォローが生まれる。自分もワークショップを企画することがあるからこそ、その場のあり方には驚きと、大きな学びがありました。

無理に進行するのではなく、その場の流れに委ねながら進めていくんですね。

そうですね。だからこそ、何が起こるのかは誰にも予測できません。不確実で、先が見えない。ある意味では、現代社会がもっとも苦手としていることですよね。

ワークショップではふつう、アジェンダや終了時間、ゴールをあらかじめ設定します。でも周産期ワークでは、一人ひとりの内側から自然と湧き上がってくるものを、ただ待つんです。

3日間という枠組みはあるものの、終わる時間も毎日違う。予定調和を手放し、何が起きるかわからないことを、そのまま受け入れていく───そうやって、コントロールを手放すというのは、すごい体験でした。

でも考えてみれば、「生まれること」や「命」とは、本来そういうものなんだと思うんです。

私たちは、個々の存在がもつ意識の計画を超えて、もっと大きな流れの中で、ただ、あるがままに存在している。そのことを思い出すこと自体に大きな癒しがあり、そこに、このワークの本質的な意味があるようにも感じられました。

誰もが持っている「WE」の感覚

山口さんは個人事業主として、「Sense of WE」という屋号で活動されているそうですね。そこにはどのような意味が込められているのでしょうか?

Sense of WEは、ふと降ってきた言葉なのですが、「自分はひとりで存在しているのではなく、もともと“私たち”として存在している」という感覚です。

そもそも私たちは大きな流れの一部で、私はあなたであり、あなたは私であり、相互に豊かに混ざり、めぐりながら、利他と利己は同じところで溶け合うものだと思うんです。

そうした「WE感」のようなものを、耕していきたいと思っています。

WE感があれば、「ひとりで生き抜かなくては」という不安も和らいでいきそうですね。そうした感覚は、どうすれば育んでいけるのでしょう。

育むというより、もともと私たちのなかにあるものなんだと思うんです。特に子どもたちを見ていると、その感覚が人間のなかに自然に備わっているものなんだと、つくづく感じます。でも社会に適応していく過程で、私たちは「個」として分離すること、自立すること、所有し成功することを求められ、その感覚は少しずつ薄れていってしまう。

もちろん現実の社会で、WEの感覚だけに身を委ねて生きるのは簡単ではありません。でもたとえば、「本当はそうなんだ」と気づいていることを、まずは自分に許してみる。そうすることで、WEの感覚とつながる時間が少しずつ増えていくのではないかと思います。

「その感覚はもともと自然に備わっている」と聞くと、なんだか希望が持てる気がします。

だから私は、すごくオプティミスティック(前向き)なんです。なぜならこれは、「まったく水のない場所に一から井戸をつくる」という話ではないからです。

新たに何かを獲得するのではなく、子どもの頃からすでに自然にこんこんと湧いている泉を、どう枯らさないか。あるいは、覆い隠されて見えなくなっている泉を、どう再発見するかなんだと思います。

そう考えると、子どもたちから学べることはたくさんあります。子どもたちは、WEという感覚を自然に生きている。そんな子どもたちの視点から世界をまなざすことで、大人もまた、自分のなかにあるその感覚を思い出すことができるのではないでしょうか。

そうやって、一人ひとりが本来持っている感覚が呼び覚まされ、ひびき合い、連帯していくことに、大きな可能性を感じています。

Writer’s note

「心の底から安心したい」という山口さんの言葉は、私自身が長らく抱えてきた思いとも深く重なるものでした。

私は安心感を求めて、これまでさまざまな試行錯誤をしてきました。自給自足の術を学んだり、支え合って暮らすコミュニティに所属したり、将来への備えになりそうなスキルや資格を身につけたり。

それでもなかなか、「心の底から安心する」という感覚には手が届きませんでした。

今回、山口さんとお話しするなかで気がついたのは、私は安心感を「手に入れるもの」だと捉えてきたようだ、ということ。けれど本当は、私たちはすでに安心するに足る状態のなかにいて、必要なのはただそれに気がつくことだけなのかもしれません。

その「すでにある安心」の正体とは、山口さんの言葉を借りれば「もともと私たちである」というWEの感覚につながっていることなのだと思います。それは、Healing Flowが「インタービーイング」という言葉で表現している世界観とも、深くひびきあうものだと感じました。